小室哲哉の不倫・引退騒動、悪いのは文春ではなくコメンテーターではないか

社会

 小室哲哉の不倫報道、そして電撃引退が話題になっている。小室本人は「男女の関係はなかった」と不倫を否定しているが、ワイドショーに出演しているコメンテーターはなんの根拠もなく「これは黒ですね」「完全にアウトですね」とバッサリ切っている。

 いや、「何の根拠もなく」ではなく、「経験や勘に基づいて」結論付けている。今回の報道よりも前から、不倫報道について是非が問われているが、今回は「やりすぎではないか」とファンを中心に文春への批判メッセージを多く発している。別に文春の記者を擁護するつもりはないが、報道という観点においては、裏付けを得るための取材を重ね、しかも本人にインタビューをおこなっている。

 この姿勢についてはジャーナリズム、そして言論の自由に基づかれている。ジャーナリズムの原点は、権力に対する監視機能、そして読者の関心があることを追及するということにあると思う。不倫報道は批判はあれど読まれる。そういった観点においては関心があるということになる。

 しかし、それと同列のような発言力をもって好き勝手に意見を述べているタレントコメンテーターに違和感を感じる。専門家ならまだしも、専門分野ではない人たちが「経験や勘に基づき」無責任に思いを述べている。なかには優れた人もいるが…。

 もっと言えば、この発言をまともに受け入れている視聴者にも問題がある。「あるコメンテーターの発言」として聞き流せばよいが、それが全て、あるいは正しいとして疑いもなく受け入れる。

 そして、この件を報じるたびに流す楽曲は、globeの「DEPARTURES」。確かに、小室、そしてKEIKOと言えばglobeで、globeの代表曲と言えばその楽曲だが、なぜ楽曲を使用する必要があるのか。番組的に映えるからか、それとも小室を知らなくてもglobeの曲流せば、「あ! この曲を作った人ね」と分かってもらえる親切心からか。良かれ悪かれ、楽曲には、その人の感情を揺らす影響力がある。

 以前、ゲスの極み乙女。の川谷絵音がベッキーとの不倫が報じられた時も、彼らの「私以外私じゃない」を流しまくっていた。この楽曲に関しては特殊性のある歌詞で、だいぶひねくれている。川谷のキャラクター性、そして不倫が相まって、この曲が更に「川谷はおかしい」という論調を作り上げることに貢献した。

 そして、「DEPARTURES」だ。この楽曲は単に言えば恋愛ソングだ。小室、そしてKEIKO、さらに不倫疑惑の相手とされる看護師のA子さんの三つ巴による恋愛模様を感傷的に響かせ、同情心を煽っているように小生は感じる。楽曲ではないが、ある議員は秘書に吐いた「このハゲー!」という音声データが大量に流されたことも記憶に新しい。あの発言やパワハラを裏付けるデータが出てしまった、あるいはしてしまったその当事者が悪いが、行き過ぎた大量再生は印象操作の何もでもないと思うのである。

 いずれにせよ、世論は流されやすい。その時その時によって、正しいことも悪いことも区別ができないことはしばしある。それは、取材対象が自身と関係がある、そして、コメンテーターが権威がある、余は「この人の言うことは正しい」という先入観を持っているという考えがそのようにさせている一つと言えよう。

 今回の小室騒動は、バラバラな要素が同一で語られており、切り離して議論を進めなければならないのにも関わらず、それがなされていない。それはそれぞれに共通している点があるからだ。自身のまわりにも聞かれそうな内容だけにだ。そんなこんなんで日本の縮図を見た気がした。

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